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素晴らしい素材であるにもかかわらずお土産品や民芸品の域にとどまっているしな織に現代的な価値を付加して実用品としての市場を開拓することを目指し、呉服店経営の傍ら素材供給者、工芸家、流通業者の三者が一緒に学習することから始めた。
その一つは、デザインである。伝統的なものは常に時代が求めるものにこたえたから残ったのであり、しな織の場合も現代のセンスに合ったものにする新しい血を注入すれば商品価値が出てくると考えた。
二つには、素材の特性を十分に発揮できる商品を開発することを考えた。呉服店の人脈を頼ってデザイナーに依頼し、帽子、バッグ、のれん、帯などのファッション性の高い新しい分野での商品開発に取り組んだ。その帽子を東京・銀座の専門店に持ち込み陳列してもらうことに成功した。その結果、店側の予想に反してどんどん売れ、自信を深めた。
インテリアの世界にも販路を確保することができた。和紙としな布を使った照明具を開発し、デパートで扱ってもらった。購入した人々からは「心が休まる」と評価されてデパートの売上増に貢献できた。全国の主要都市のデパートで展示会を開催してきたが、しな織りへの理解が次第に広まっていることを実感している。千葉県の川村記念美術館からは「古代織り・しな織の今と昔」という企画展のプロデュース依頼が舞い込み、しな織の製作工程のビデオ上映、織りの実演、昔の生活用具の展示などを行った。しな織りの普及活動を通して自分自身が成長していくことを感じている。
わが国には貴重な伝統工芸品が数多く残っているがその存続が困難になっているものが少なくない。 さらに、伝統工芸品は単一の素材で作られるケースは少なく、数多くの付属品を使用する場合が多いが、付属品確保もままならない状態になっており心が痛む。昔ながらの技をそのまま伝えるだけでなく、新しい血を注入して生き返らせる努力が今こそ必要になっているように思う。
私は店蔵を改造して、しな織りを全国に発信しようと「しな織ギャラリー石田屋」を開設した。鶴岡市大山は匠の町と呼ばれるぐらいに職人が多い町だが、サロンの建物も白壁、漆喰塗り、瓦など伝統的な職人技を取り入れながら大山の町にふさわしい町並み景観にしたいという気持ちがあった。 山形県は日本有数の伝統工芸保有県でもあり、また、多岐にわたる分野で新進工芸作家が活躍している。しかし、それらの技術水準がいかに高く、工芸品がいかに貴重なものであっても、その価値を認めて代価を支払ってくれる人がいなければその技術は後世に伝わっていかない。価値を認めてもらうには付加価値の高いものを作り、作る人が誇りに思える環境を整える必要があるように思う。私は顧客との会話の中から消費者ニーズがどこにあるかをつかむ貴重なヒントを得たように思っている。そして、いくら優れた製品であっても流通に乗らなければ価値を生まないことも肝に銘じており、作るだけでなく販路を開拓することも重要である。
伝統工芸を取り巻く時代とともに変わる。しかし、いつの時代でも、その時代に合った素材の生かし方、時代の感性が求めるデザイン、次代のニーズにこたえる制作技術、ニーズを持っている人を探す販路開拓が必要である。地域に根差しながら総合的な伝統産業をプロデュースすることが伝統工芸を生き長らえさせる道であろうと思う。
コラムに
続く